日本橋
最初は慶長九(1604)年に設けられた日本橋川に架かる橋、中山道をはじめ五街道の起点。
現在の石橋は明治四十四年築。
南西詰は高札場跡で、獄門になった罪人の首も晒された。
東詰は魚河岸、関東大震災後築地に移転。
場所 営団地下鉄三越前駅、日本橋三越のそば
勝閧橋・かちときのわたし
かちどきのわたし 明治38年設置、勝閧橋開通の昭和15年まで。
勝閧橋 昭和15年開通。
回向院
勧進相撲発祥地。
ねずみ小僧次郎吉の墓。
ねずみ小僧次郎吉は「鈴が森」で処刑され「千住回向院」に墓があります。ここ「回向院」にも墓があるのは?
「千住回向院」は「小塚原(こづかっぱら)」にあるので「小塚原」で処刑されたのではと思っていましたが?
ねずみ小僧次郎吉は元「トビ職」27歳のとき勘当となりその後10年間122回盗みに入り3100両以上盗む。
(当時10両盗むと死罪、今の貨幣価値にすると1両10万円程ですか)
彼が盗みに入ったのは武家屋敷ばかりだったので義賊とされ庶民の喝采を受け後に講釈師により英雄化される。
盗んだ金は全てバクチや酒、女に消え実際には貧しい庶民に施しなどしなかったようです。
武家屋敷ばかり盗みに入った理由は武家屋敷は金の場所が解りやすく被害にあってもプライドが高いので届出をせず、
お金を大事にする商人より盗みやすかった為のようです。
ちなみに
花屋与兵衛が酢めしに魚を乗せた「にぎりすし」を考案し、ここ回向院前の屋台で始めたのが「江戸前すし」の始まり。
その後、わさびを使うアイデアを加えた「松がすし」、戦国期に誕生した「笹巻けぬきすし」を「江戸三大すし」といいます。
もうひとつ因みに
寿司を一かん二かんと数えるのは寿司が当時のお金の形に似ていたから
又、2ッづつ出てくるのはその頃の寿司は大きくて食べにくいので二つに切って出したのが始まり。
屋台で始めたころの寿司は江戸前(東京湾)でその日のうちに取れた物だけ店主が勝手に握り
それを、早い者勝ちで食べたので手づかみ、醤油はどんぶりに入れておき皆で共有、
食事として食べるのは粋ではなく、小腹がすいたときに2ッ3ッつまみ暖簾で手を拭いてサット帰るのが粋。
値段も1ツ4文(100円くらい)程ですので、値段といい勝手に取って食べるのといい
現在の回転寿司が江戸前寿司の原型に近いのかも知れません。
後に十両以上もする寿司と2極化していきます。
場所 「回向院」は靖国国通り(京葉造路)を両国橋渡りすぐ右。
総武本線「両国駅」
小塚原回向院
大田区の「鈴が森」と「小塚原」が江戸の二大刑場。
当時の罪人の死体はこの原っぱに放り出され野犬やカラスに食われた者も多かったようです。
「解体新書」を書いた前野良沢らはこの罪人の死体を下げ渡してもらい解剖研究もしました。
又、吉田松陰の死体はここの裏口から弟子たちに下げ渡されました。
場所 南千住駅(常磐線・営団日比谷線)下車、南に30m程の吉野通り沿い(電車ガードのそば)
ちなみに、吉野通りのガードをくぐり浅草方面に40m程にある「泪橋交差点」あたりが
江戸時代、島送りの罪人を舟に乗せた所。
吉良屋敷跡
赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした後「永代橋」を渡り「泉岳寺」に行ったようです。
場所 回向院と勝海舟誕生地(両国公園)の中間くらい。
勝海舟誕生の地
場所 靖国通り「両国3丁目」信号右に曲がりすぐの「両国公園」内(両国小学校隣)
芥川龍之介碑
芥川龍之介は明治25年3月1日東京市京橋区入船町八丁目一番地に誕生。
その年の10月に母フクが突然の発狂、母の実家(芥川家)本所区小泉町15番地(現在の墨田区両国3丁目22番11号)に
引き取られる(現、京葉通りサンクス・下段の写真2枚)
龍之介が通った「両国小学校」前の石碑(上段の写真)
場所 両国小学校正門前 吉良屋敷跡と勝海舟碑(両国公園)の中間。
深川江戸資料館
ビル内、地か1階から2階までの空間に「江戸の下町」・・・当時にタイムスリップしたような錯覚におちいります。
長屋、八百屋さんやお米屋さんなどの下町を再現。
靴を脱いで各家へ入ってもいいので雰囲気が味わへ又、係りの方に質問するといろいろ教えてもらえます。
場所 地下鉄半蔵門線「清澄白河」駅徒歩3分
清澄白河駅より清澄通り門前仲町方面へ最初の信号を左に折れて20m程。
紀伊国屋文左衛門の碑
清澄庭園は紀伊国屋文左衛門の屋敷だったそうです。
明治に三菱の創始者岩崎弥太郎が所有しその後東京都に寄付したようです。
浄閑寺
吉原の遊女が病死したときこの寺に投げ込むように運ばれたお寺。
永井荷風の碑。
場所 地下鉄日比谷線三ノ輪駅そば。
駅前の水戸街道を千住方向、一つ目の路地を右折。
目黄不動尊
目白(豊島区)・目黒・目赤(駒込)・目青(世田谷太子堂)・目黄の五不動尊
白・黒・赤・青は方角の守り黄は中央を意味します。
江戸幕府を開くとき白・黒・赤・青の四不動尊を作られ三代将軍家光の時、目黄不動尊を加え
五不動尊となる。
場所 地下鉄日比谷線三ノ輪駅そば。
三ノ輪駅を出て明治通りを10mほど浅草方向。
目白不動尊
神霊山 金乗院慈眼寺・関東三十六不動霊場第十四番
丸橋忠弥のお墓があります。
場所 JR目黒駅より旧目白通りを明治通り方面へ「千登世橋上」を過ぎオリジン弁当(右)の角を
右に曲がり長い坂を降りきった所。(JR目白駅より歩けば20分程です)
JR目白駅よりバスの場合は「鬼子母神前」下車。
豊島区高田2-12-39
樋口一葉記念館・住まい跡
1段の写真(一葉が雑貨店を営んでいた頃)
場所 台東区竜泉3丁目18番4号
浅草の国際通り「鷲神社」を三ノ輪方面隣の「西徳寺」
信号を右、2ッ目の路地を左には入ったあたり。
2段の写真(一葉24歳にて終焉の地)
場所 文京区小石川1丁目付近
最寄り駅 都営三田線「春日町」
春日町駅より白山通りを巣鴨方面に徒歩4・5分、白山通り右側「洋服のコナカ」前。
3段の写真(一葉18歳から21歳、2年11ヶ月暮らした場所)
場所 文京区本郷4丁目付近
最寄り駅 都営三田線「春日町」
春日町駅より言問い通り右折「菊坂下」を右折(菊水湯という銭湯の近く)
4段目の写真 一葉ゆかりの質店(本郷5−9−4)
宮沢賢治が大正10年に上京したとき下宿したところ
場所 一葉18歳から21歳まで暮らした(菊坂)の狭い横丁を出て菊坂を右に10m程。
見返り柳
日本堤通り、見返り柳
場所 台東区千束4−9あたり、土手通り(日本堤通り)吉原大門交差点角(シエルガソリンスタンド前)
鷲神社(おおとり神社)
天日鷲命と日本武尊(やまとたけるのみこと)をお奉りしています。
2004年三の酉11月26日にいって来ました。
日光街道を江戸に帰る商人が鷲神社の市で「熊手はかき集めるので縁起がいい・・・」と
買って帰ったのが始まりとききます。
(気が付いたら大き目の熊手を買っていました、キット来年はいい事あるぞ・・・・)
汐留駅跡の信号機
築地の竹中工務店辺りは元「備前中津藩奥平家上屋敷」奥平家の医師の前野良沢がここの場所で
解体新書の執筆をしたはずなのですがいくら探しても発見出来ませんでした。
「聖路加病院」本館南側に碑があるらしいのでいつか行ってみます。
代わりに汐留の信号機を見つけました。
汐留駅跡の信号機の場所 竹中工務店と銀座郵便局の間、新海岸通り沿い。
下段は汐留シティーにある最初の新橋駅の復元
日本で最初に新橋〜横浜まで開通したときの駅舎を場所も外観も出来るだけ正確に再現したと書いてありましたので
その時の新橋駅の場所はここのようです。
明治4年5月着工、同12月完成 明治5年10月14日開通
設計者 アメリカ人R・Pブリジェンス
四谷大木戸跡
場所 新宿通りと外苑西通りとの「四谷四丁目」交差点そば。
上記の碑は「四谷文化センター」「水道局新宿営業所」の所。
実際には四谷四丁目交差点の真ん中あたりに「大木戸」があったらしい。