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江戸歌舞伎発祥
の地
 
 江戸最初の銀座の地
と大根河岸碑
江戸三座の森田屋の
あった地 
  渋沢栄一屋敷跡 門前仲町の
火の見櫓 
原敬暗殺の場   浜口雄幸襲撃地
佐久間象山塾跡  佐久間象山砲術塾跡 狩野画塾跡   富岡八幡宮 銀座の碑  銀座発祥の地  



江戸歌舞伎発祥の地

写真左から1 江戸歌舞伎発祥の地
2)大根河岸碑
3、交差点向かいの京橋の欄干

猿若勘三郎がこの地で寛永1年(1624)歌舞伎芝居を始める。
お城の近くで太鼓の音がお城の太鼓とまぎらわしい、風紀をみだすとの理由で
寛永9年(1632)現、人形町に移され又、名を猿若勘三郎から中村勘三郎に改める。

大根河岸
高速道路の下は掘割でした。その岸は大根河岸と呼ばれ
江戸・明治・大正まで江戸、東京の青物市場でした。
大正12年の関東大震災により壊滅的な被害を受け現在の築地に移転しました。

欄干の烏帽子は日本橋と京橋のみ付けられる。
京橋は東海道を日本橋から京都へ向けての最初の橋。
日本橋と京橋の間が豪商のお店が並んでいた(山本山・柳屋など)
京橋から新橋までも当時トップクラスの店が軒を連ね、その先浜松町辺りまで栄えていました。
新橋から浜松町は古着屋が多かったようです。
新しい着物はとても高価なので一般庶民は殆ど古着です。
古着屋はあちこちに数多くあります。
有名なのは鳶沢陣内という盗賊に罪を免じる代わりに密偵をさせ日本橋富沢町に土地を与え
古着屋をさせた。衣類は高価だったため盗賊は衣類を盗むことが多いため犯罪を探りやすい。
鳶沢から後に富沢町と変わります。




江戸最初の銀座の地

銀座は京橋より南四町までの土地に慶長17年(1612)駿府より移転し地名は金座の場所は本両替町の為
銀座の場所は新両替町なるとしました。
その後享和元年(1801)銀座は蛎殻町(現人形町)に移転し新両替町(現銀座)は地名としての銀座になりました。

写真左 銀座の碑(撮影が下手で斜めに写してしまった)
   右は京橋の欄干 烏帽子付いているのは日本橋と京橋の2箇所だけ。
場所 銀座の碑 中央通り「銀座2丁目」信号付近(新橋方向 道路の左側)



銀座の碑

「有楽町」交差点の宝くじチャンスセンターのところ




原敬総理大臣暗殺の場
1921年11月4日東京駅丸の内南口切符売り場前で当時の総理大臣原敬は刺殺されました
写真5・6のように丸の内南口切符売り場横に表示してありました
写真7は床に現場の印

場所 東京駅丸の内南口切符売り場横


浜口雄幸(ライオン首相
1930年11月14日東京駅現在の新幹線改札前階段付近で浜口雄幸首相が襲撃され重傷を負う

新幹線改札前の階段下 仲間の像近く




江戸三座の森田屋があった地


江戸三座の森田屋のあった地です。
現在の歌舞伎座より少し離れた場所
場所 「三原町の交差点」より昭和通りを新橋方向へ50mほど
電源開発ビルの昭和通りを挟んだ向かい側




狩野画塾跡
江戸幕府の奥絵師
場所 三原橋交差点より昭和通りを新橋方向50mほど(道の左側)




佐久間象山塾跡
佐久間象山の塾があった場所です。
佐久間象山は蘭学はじめ多くの学問の大天才(特に欄学の第一人者)ですが
だいぶ人間は変わっていて結構嫌われていたみたいです
当時男性の平均身長は155・6cmでしたが彼は173・4cmだったそうです
目は大きく鼻が高かったので、当時とすれば異型
外国人が彼を見て「こんな日本人もいるのか」と思ったそうです
「これからの日本は優秀な人材を多く出さなければいけないので
それには優秀な自分の種を多く残さねばいけないので尻の大きな、健康な子を
産めそうな女を紹介してくれ」と本気であちこちに言っていたとか
しかし彼の息子はどうしようもないごろつきのような人間になってしまったようです
塾生が象山に「蘭学の読み方を教えてほしいと言うと」
先生「読書百篇、意おのずと通ず」といったそうです
自分はそうやって蘭学覚えたと・・・・
それはー無理でしょう
始めてみる横文字の本をただ読んだだけで読めるようになるなんて・・・
佐久間象山は三条木屋町で前田伊右衛門、川上彦斉によって暗殺されます
後に前田伊右衛門は象山の天才ぶりを知りおおいに悔やんだそうです
弟子に勝海舟・河井継之助・橋本佐内・坂本竜馬などなど全国から集まった
妻は勝海舟の妹
場所 三原町の交差点から昭和通りを新橋方面、一つ目の信号銀座東5丁目の交差点
    を左折10m程 右側

そういえばそういう天才が他にもいました
彼は嫌われ者ではありませんでしたがやはり天才
解体新書の前野良澤はドイツ語のターヘル・アナトミアの翻訳をしますが
彼はドイツ語辞書を持っていなかったのでオランダ語の辞書で長年かけて翻訳
医学の専門用語が多いドイツ語のターヘル・アナトミアをオランダ語の辞書だけで翻訳するとは!
杉田玄白は前野良伯を師と仰ぎ彼の手助けをしました
翻訳がほぼ完成したとき杉田玄白が「先生これを世にだしましょう」と言ったのですが
北野良伯は「まだ完全ではないのでダメだ」といいます
杉田玄白は「では先生のお名前を出さなければいいでしょうか」となり北野良伯が承知
したので杉田玄白の名で出版し杉田玄白の元へは全国の医師集まった
その後北野良伯は剥落しますが、杉田玄白は全国に名が知れ渡りました

吉村昭著「冬の鷹」
翻訳した場所は中津藩屋敷 現聖路加病院




佐久間像山砲術塾跡
ここは信州松代藩下屋敷跡
因みに松代藩上屋敷は現在経済産業省別館
中屋敷は赤坂のアメリカ大使館宿舎の所です

場所 永代通りを永代橋から富岡八幡宮方面に進みの「永代2」信号との中間
「ふくしまはし」脇
永代1-15




渋沢栄一屋敷跡

場所 佐久間像山砲術塾跡の隣  「ふくしまはし」の反対側に渋沢栄一屋敷跡があります





門前仲町の火の見櫓
場所 門前仲町交差点から清澄通りを月島方面へ50mほどの左側




富岡八幡宮
江戸3大祭り
この地の埋めたてのとき事故が多く工事が進まなかったので現神奈川の富が岡八幡宮を分社したところ
安全に工事が進んだといいます。
江戸においての勧進相撲発祥の地


5枚目の写真は伊能忠敬の像
伊能忠敬の住いは富岡八幡宮の近くでした(現在の門前仲町1-18あたり)





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